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<title>drecom_taca0118のブログ</title>
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<title>【近況報告】</title>
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<description>作者です。

実は、更新日を宣言しているにも関わらず交信していなくて申し訳ありません。

引越しと卒論がかなりの
最終フェーズに入っていて、いっそのことブログをやめてしまおうかと思っていたんですが

何人かの方からメールをもらったので、予定の調整がつく３月になっ...</description>
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<dc:date>2005-02-24T15:16:53+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[作者です。<br>
<br>
実は、更新日を宣言しているにも関わらず交信していなくて申し訳ありません。<br>
<br>
引越しと卒論がかなりの<br>
最終フェーズに入っていて、いっそのことブログをやめてしまおうかと思っていたんですが<br>
<br>
何人かの方からメールをもらったので、予定の調整がつく３月になったらまた始めます。<br>
<br>
やべ～、ジャンプの休載みたいだ…<br>
<br>
まだまだ描くネタはいっぱいありますので
<!-- BASENAME=http://taca0118.blog.drecom.jp/archive/4 -->
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<title>シリーズ【僕の大学生活③】（次回は２／１８）</title>
<link>http://taca0118.dreamlog.jp/archives/3428688.html</link>
<description>【怪しいサークル勧誘】

私はとても急いでいた。3月の中ごろだったと思う。合唱部の演奏会も間近に迫った高校生活の残り最後の時間、一分一秒でも長く合唱部活のために時間を使いたかった。

そんな中、金沢からの新幹線での片道４時間の往復の間はずっとすぐに帰りたいと思...</description>
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<dc:date>2005-02-15T17:33:04+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[【怪しいサークル勧誘】<br>
<br>
私はとても急いでいた。3月の中ごろだったと思う。合唱部の演奏会も間近に迫った高校生活の残り最後の時間、一分一秒でも長く合唱部活のために時間を使いたかった。<br>
<br>
そんな中、金沢からの新幹線での片道４時間の往復の間はずっとすぐに帰りたいと思っていた。合格した埼玉大学の入学手続きを済ませねばならなかったのだ。入学手続きや大学生協の申し込み、奨学金や授業料振込みのための銀行口座の開設、本人が直接大学にいって手続きをせねばならない。<br>
<br>
大学側が用意した、手続きの受け付けに長い行列ができている。周りはもちろん知らない人だらけだ。母親といっしょに並んでいる男の子を見ると勝手に「自分一人では来れないのかな」なんて、自分のほうが偉いなんて思ってたりしていた。実家にいれば、ごはんも出てくる、洗濯もしてある、掃除や風呂の準備も毎日自分でするわけではない私にとっては各種手続きは勝手がよくわからなかった。銀行員の人が勝手に話を進めて、判子を押してくださいと指示する。銀行口座を開設して振り込んでもほんとうにできているんろうか、騙されてるんじゃないかとか思ってしまう。産まれてからほとんど金沢にしか住んでいなかった私にとっては関東はそういうものだった。<br>
<br>
きっと私はその時キョロキョロでもしていたのだろう。慣れない手続きの連続、地形のわからないキャンパス、周りには大量の自分と同じような高校生たち。歩いていると声をかけられた。<br>
<br>
「あのう、新入生ですか？埼玉大学のサークルの説明をしたいんですけど」<br>
<br>
この言葉から私は、サークルというものが一体何で、埼玉大学のサークルにどんなものがあるのかサークル全体の説明をしてくれるものだと期待してしまった。偶然にも連れて行かれたのはそれから４年間通うことになる教養学部のロビーだった。<br>
<br>
予想していたものと全く違う事実が飛びこんできた。彼らがとつぜん喋り出したのはサークルの説明なんかではなかった。星の王子さまに植物が出てきて、動けない植物は幸せだと言っているんですどうしてかわかりますか？こんなことをいきなり聞いてくる。そんなの中学生でもわかるだろと心の中で私は叫んでいる。あと知っていますか、儲けるという字は、信じられる者って書くんですよ。こういうことを私たちはみんなで考えて話し合っていきたいんですよとか言っている。年上の人だし、初対面だったから少しでも話を聞いてあげようかと思ったが、頭の中では早く金沢に帰ることでいっぱいだった。合唱部にいれば、曲や詞の解釈もたくさんやる。早く話しが終わるのを願いながら明るく元気にうなずいている私がいる。話が終わると私は早々とバス亭に向かい帰路に着いていた。たしか母親に携帯電話で話しをしながら頭の悪い人に捕まってしまって時間も気持ちも損したみたいなことを言っていたよう気がする。<br>
<br>
<br>
<br>
週に1度ある、英語の授業の時に知り合った友達が授業終わった後に言っている。スププリングフェスティバルっていうのは新入生が仲良くなるためのイベントで4月の頭に大学の中をグループで探検したり、ゲームしていくイベントなんだ。入学手続きの日に、案内の紙をもらっているはずだよ。と言っている。<br>
<br>
この時、何が起こっていたのか私はすべて理解した。私が怪しいサークルに捕まっていた時、他の学生はみんな大学で仲良くなる友達を手に入れるスプレイングフェスタの説明を受けていたのだ。引越しのために埼玉にやってきて、朝疲れて寝ていた私に話した母親が大学で見たものがスプリングフェスタのイベントだったのだ。私が一人で入学式の日に駅ビルで天ぷらを食べていた時に、スプリングフェスタに参加していた学生たちはきっといっしょに昼ご飯を食べていたのだろう。どうにも昼食自由なのがおかしいと思っていた。その事実を理解した私はあの怪しい二人組のことをきっと忘れない。<br>
<br>
見知らぬ他人のせいで自分の大学生活に関わるチャンスがつぶされてしまう。やりばのない怒りだった。<br>
<br>
<br>
【授業登録】<br>
<br>
大学も2週間ほど過ぎれば、いよいよ自分の取る講義を登録しなければいけなくなる。親や兄弟から言われていたのはとりあえず１、２年のうちにたくさん取っておいて３，４年の間を楽にしないと大変になるぞ。そんな知識しかなかった。何をどれだけ登録すればいいのかもわからない。<br>
<br>
どうやら、履修案内もよく読んでみると教養学部（教育学部とは異なる）というのは教員免許も取れるみたいだ。教員免許も取れるもんならとりあえず取っておきたい。<br>
<br>
小中高や中３の時の塾の時と面白い先生と会えた時は自然と面白かったなぁ、小学校や中学校の時も先生という職業にあこがれていた、将来の職業は変化のある人との出会いがあるところがいいと考えていた。同じようなところで同じようなことを黙々と続けていく、そんなイメージが浮かぶような職業にだけはつきたくないという恐れのようなものがあったし、出会った人の人生の印象に自分がちゃんと残る職業につきたかった。中学生や高校生のころ自分の持っていた情報では先生という職業はとても条件が合致していた。高校のときは合唱部の先生の影響で音楽の先生になれるような進路も考えていた時期もあった。もちろん担任からの反対の声も大きかったが。<br>
<br>
とにかく、私の授業の登録のしかたは決まっていた。ほとんど誰も知らないような大学での最初の生活はムチャクチャ寂しかった。特に昼休みのご飯の時間だ。食べる人がいない、学校の外に出かけ一人で入りやすいラーメン屋や牛丼屋で食べる、コンビニで一人でパンを買って公園かどこかで食べる。大学生活がほんとうに予想していたものと違っていたのだ。一人暮しで知り合いがいない状況がこんなに寂しいものだと思っていなかたし、こんな状態に自分がなるになるなんて考えてなかった。<br>
<br>
とにかく同じ学年の学生ととことん接点がなかったのである。私は、クラスのいっしょな友達が取る授業をとりあえず登録しまくった。興味のないものが後になってからほとんどだった。そんなことよりもその時の私にはとても重要なことだったのだ。<br>
<br>
どんな授業を登録しているかさりげなく聞いたり、調べていってたりして私の時間割は少しづつ完成していったのだ。授業が増えれば、とりあえず接点が増える。やはりお互い初対面だ仲良くはなりやすい。それでも週に２日ほどは知っている人と合わない日があった。しかし、前よりは随分ましになっていた。<br>
<br>
【サークル入る　同居人との出会い】<br>
<br>
とうとう、サークル勧誘の季節になってきた。大学に入ったら絶対にバンドサークルに入ろうと決めていた。高校のころそこそこやっていたから、自信はある。結果的に２つのバンドサークルに入ることにした。簡単に言うと、１つはうまめのところＡで、もう一つは全体的にはあまりうまくないところＢだった。文化祭典という音楽サークルが集まって、新入生にライブをするイベントを見ながら、同じギターをやっていた教養の知り合いといっしょに偉そうになって、やれあのギターはうまい、今のいまいちだったよね、なんて話しながら結局その２つに決めたのだった。<br>
<br>
新入生歓迎の飲み会にももちろん参加した。高校生活の時にも、お酒を飲んだことはもちろんある。だけど、やっぱり大学生活に入ってからのお酒は何か違う。うおぉー大学生になったぞー！酔っ払いながらそんな気分を味わっていた。ただ単に大学生になってお酒を飲んでいるそんなこと自体に喜んでいたのだろう。毎週金曜日に片方のサークルＡはミーティングが終わってから飲み会をお酒を買ってきて学校の校内で開いていた。きっと私は毎回参加していたのだと思うとにかく楽しかった。門限もなく、好きな時間まで好きなようにお酒を飲む。そんなことが楽しいのだ。<br>
<br>
<br>
<br>
現在引越しする直前の私の部屋は、ワンルームの大きさだがロフトもついている。今、引越すまであと残りわずかの期間だが同居人がいて彼との共同生活を過ごしている。（彼がうちに転がり込んでくるようになった経緯はまたブログの中で紹介していきたいと思う）<br>
<br>
ちょうど彼と出会ったのも４年前で、サークルＢでの出会いだった。その時のバンドのきめ方は、新入生がやりたいバンドを言ってそこに新入生が集まってバンドを組むという形だった。<br>
<br>
私は、当時名前だけしか知らなかった「くるり」というバンドをやりたいとその場で言った。そこに４年生二人と、その同居人が集まってバンドを組むことになった。今思い出しても、すげ～おもしろいバンドだったと思う。同居人の第一印象はあまりよくなかったのは覚えてる。何だコイツみたいのだった。初めてスタジオ入った時にも、これでボーカル大丈夫なのかな～とか思っていたりもしていた。<br>
<br>
彼はほんとに歌がうまくなったと思うし、４年間の中でいろいろなことやった。バンドもいっぱいやったし、アメリカにも一緒にいったし、カラオケもよく行くわ、同居生活もするわ。彼は休学してたので私よりも卒業が1年遅いのだがこれからもとても付き合っていきたい人物の一人だ。<br>
<br>
大学に入って入ったバンドサークル、やっぱり最初のころは良くも悪くもサークル漬けだった。<br>
そんな大学生活がスタートしていくのだった。
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<item rdf:about="http://taca0118.dreamlog.jp/archives/3428679.html">
<title>シリーズ【僕の大学生活②】（次回は2/15）</title>
<link>http://taca0118.dreamlog.jp/archives/3428679.html</link>
<description>【プレ大学生活～僕の合唱部～】

私は埼玉大学の入試を終えてからの一ヶ月半の残りの高校生活、所属していた合唱部の３月に開かれる演奏会の練習に集中していた。私が演奏会に夢中になっていたのには理由がある。私たちの高校の合唱部は、全国の合唱団体の中では有名だった...</description>
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<dc:date>2005-02-11T23:27:40+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[【プレ大学生活～僕の合唱部～】<br>
<br>
私は埼玉大学の入試を終えてからの一ヶ月半の残りの高校生活、所属していた合唱部の３月に開かれる演奏会の練習に集中していた。私が演奏会に夢中になっていたのには理由がある。私たちの高校の合唱部は、全国の合唱団体の中では有名だったが１０数年前を区切りにそれまで進んでいた全国大会に進むことはできていなかった。（ちなみに、県大会→中部地方大会→全国大会のステップ）それが私たちの学年が入学した１年の時には、１０数年ぶりに全国大会に出場することができ、その時の結果は銅賞だった。（金賞５校、銀賞６校、銅賞６校のような表彰のされ方である）。２年の時も全国大会に出場できたがその時の結果も銅賞だった。しかし私自身２年の途中までは合唱部にはあまり本腰を入れてなかった。２つ学年の先輩が２年の１０月に亡くなるまで。<br>
<br>
その時のことは今でも覚えている。いつものように部室である音楽室で練習を続けていた。パートごとに分かれてベースだった私はパートの練習時間だった。その時間はベースのパートを顧問の先生が見てくれる時間だった。先生が見る練習時間が終わる時に、その時先生が突然、私たち生徒に向けて言った。「おまえたちの先輩の中嶋が亡くなったわ。」あまりに先生が冷静に言ったので、何を言っているのかよくわからなかった。先生は何か言葉を続けている。だけど頭には一言も入ってこない。ずっとずっと先生が何を言っているのかよくわからなかった。最後に先生が一言言った。「中嶋のためにも全国大会をがんばろう」。<br>
<br>
先生がパートを見てくれる時間の次は、その指摘されたところを直すための学生だけのパートの時間だった。部室の音楽室から場所を移してベースのパートは練習する。だが、私は違うところに歩いていて、音楽室の中に３つ着いていた防音の練習室に一人で入っていた。気づいたら泣き出していた。声を上げての号泣だった。その先輩に特別にこんなことをしてもらった、あんなことをしてもらった、そんな具体的な事柄は思い浮かばなかったがお世話になったという気持ちが後から後から思い浮かんでくる。なんで自分がこんなに泣いているのか自分でも不思議だった。それほどお世話になったことを自分の心の中でわかってなかったんだ。唯一の３年男子であったパートリーダーもその時間は、練習をほっぽって校舎をあてどなく歩いていた。二人も抜けた中、同じ2年の生徒がその時間のパート練習を仕切っていたことは今でも本当に偉いと思う。<br>
<br>
そんな出来事があっての２年生の時の全国大会銅賞だった。悔しくて仕方なかった。結果が銅賞だったことで、あまり本気で練習していなかった自分に腹が立った。最後の年は絶対金賞を獲ろうと決意した。それまで部活は普通に参加していがあまりマジメに取り組んでいるほうではなかった、技術も飛びぬけているわけでもない、自分が偉そうなことを言っても効果は何もない、むしろ逆効果だと思った。私は一つのことだけを心の中で決めて実行することにした。これからの練習誰よりも早く来て、誰よりも一番遅く帰り、誰が見ても８０人近い合唱部の中で後藤が一番練習しているという姿をまず実証するということである。それだけを実践した。ひたすら歌い続けた。学校の全校生徒行事で演劇鑑賞が終わったあとも誰もいない学校に戻り一人音楽室で勉強した。かなり遠いところにある顧問の先生の家にも、夏休みの中でたまにしかない部活の休日をさらに練習を個人的に見てもらいに行った。自分は合唱の技術はどうかわからなかったが、合唱部のムードメーカーではあったことはわかっていた。マジメな方向でのムードではないムード作っていたが、その自分の役割を自分で一番理解しながら自分次第によってはマジメな方向へのムードを作れるはずだと思っていた。部員みんなの目標を一つのものに向けることが重要であると考えていたし、自分にはそれができると認識していたしその役割を果たすことができるための下準備をひたすら地道に毎日続けていた。3年生の時には誰よりもがんばる自分が態度で雰囲気を作り上げていくように努力した。本当に部員一人ひとりの想いや練習が積み重なり、そうして最終的には私たちの学年の代で金沢二水高校合唱部は金賞の中でもさらに特別な全国大会３位に入賞することができるということができた。１年間本当に一つのことにひたすらがんばったものに結果がついてきた時は最高の瞬間だった。<br>
<br>
受賞したその日はもう一度宿に帰って、次の日は一日観光をしてからの帰路だった。帰りのバスは最高の時間だ。私たちは、３年間で今まで歌った曲の楽譜を全部持ってきている。3年生はバスの席で同じ場所に固まって福島の郡山から帰り道の間中、歌っているのだ、これは毎年恒例の行事なのだ。みんな3年間を思い出しながら、全員が楽しそうに笑いながら歌っている。しゃべるよりも歌う。合唱部ならではの時間の使い方だ。全員で歌うのもある、男声だけのものもある。女声だけのものもある。歌っても歌っても曲はある。そして高速の最後の休憩所に寄る。今までの休憩と違って全員が駐車場だけど、集まって輪っかになる。最後に全員が歌える校歌とは別の合唱部の歌を全員で歌うのだ。明日から、私たち３年生はもう部室の音楽室には足を運ばない。これが本当に最後なのだ。１年生も２年生も３年生もみんな泣いている。私も泣きながら歌っているので声が出ない。それでも歌いたい、そんな時間だ。歌が終わると、みんなもうぐしゃぐしゃになっている。高校に入るまで、入ったとしても同じ部活に入らなかったら会わない８０人が合唱部を通して出会って共にがんばってきたんだ。<br>
<br>
高速から普通の道路に降りて、段々見慣れた風景や道路が目に入ってくる。あと少しでバスも到着してしまう。普段酔ってしまうから長く乗っていたくないバスにその日ばかりは長く乗っていたいと思ってしまう。信号無視してしまう信号でさえも早く変わらないでいて欲しいと思ってしまう。そうして夜遅く学校に到着すると、学校に大きく「全国大会金賞」の垂れ幕がかかっていた。<br>
<br>
一年の時には、合唱部とバンドのギターとの両立が難しくなって、どっちも全然中途半端になっていた状況に嫌気がさして先生に部活をやめたいと申し出たことがある。はじめはかっこつけながら「もうやめる。」と言っていただけだが、先生もそれに対して引き下がらない。だんだん感情的になって気づいたら自分がなきじゃくりながら「もう無理なんです」と言っている。両方がんばっている自分なのに両方うまくいってない状態から逃げ出したかった。先生はあくまでも引き下がらない。私の手をとって言葉を言う。すごい強引でむちゃくちゃなことを言っていたが今でも心の中に残っている。同じ学年の部員の男５人は、私と先生のその長いやりとりが終わるのをずっと待っててくれた。それで、音楽室の中にある狭い練習室に入って６人で輪を作って話し合う。みんな思い思いをしゃべる、私がやめるということで泣き出すやつもいた。その時に「自分が学校をやめると言っても泣き出すクラスメートはきっといないが、自分がやめると言った時に泣いてくれるやつらがいるんだ」と思った。やめないと決心した。<br>
<br>
もちろん、ギターに費やす時間は減った。高校３年間の間、それでもいくつもライブや文化祭にも出ていたが意識は変わったと思う。中学の３年のころ、両親や兄に受験勉強に集中するために我慢させられていて思いっきり弾けるようになったのも高校からだった。しかし、自分にとっての大事なものがそのことがあってから合唱部になった。もともと中学の時にやっていたハンドボール部がしたくて、ハンドボール部がある高校に進学したが、両親の新聞販売店の手伝いのバイトと、バンド活動と、運動部のかけもちはきついと思っていた時にかわいい女の人に声をかけられてついて行ったのが合唱部だった。その時たまたまギターがうまい先輩がいた、練習時間も5時までだと言う。女の子も多いし。これならバイトとバンドとのかけもちにも適している。中学時代の同じ部活の先輩に入りますとすでに言ってしまった後だったので、授業中一日中悩んでいたが入部することを決定した部活だった。<br>
<br>
そして、合唱部始まって５３年間最大の快挙は一つの出来事を私たちに運んできた。「演奏会」である。今まで２回しか開かれなかった演奏会が何十年かぶりに再会するというのだ。校長の力強いプッシュがあったらしい。私たち部員にとってはそんなことはどうでもいい。もう一度このメンバーで歌えるチャンスがあるのだ。それだけで十分だった。コンサートの日付は３月の終わり、３年生はみんなギリギリまで自分の進路と闘っている。練習時間は３年生にすればほとんどない。一日でも早く自分たちの戦いには決着をつけて練習したい。そんな想いから試験を受けた後の私は３年生の部員の誰よりも早く演奏会の練習に合流するのだった。<br>
<br>
それが私の大学生になる前の高校生活の最後の時間の最高の使い方だったのである。<br>
<br>

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<item rdf:about="http://taca0118.dreamlog.jp/archives/3428675.html">
<title>シリーズ【僕の大学生活①】（次回は2/12）</title>
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<description>【確信】

昼過ぎだったと思う。受験会場を後にしながら私は高校の合唱部の先生と電話をしていた。
「先生！おれ絶対合格したよ！間違いない！３月の演奏会の練習に今から参加できるよ！」
１１月に終わった部活の後の２ヶ月間、必死に毎日１８時間勉強を続けていた。おかげ...</description>
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<dc:date>2005-02-09T00:49:09+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[【確信】<br>
<br>
昼過ぎだったと思う。受験会場を後にしながら私は高校の合唱部の先生と電話をしていた。<br>
「先生！おれ絶対合格したよ！間違いない！３月の演奏会の練習に今から参加できるよ！」<br>
１１月に終わった部活の後の２ヶ月間、必死に毎日１８時間勉強を続けていた。おかげで大学に入ってからも最初の１年か２年は夢で何度かもう一度受験勉強や試験を受けている夢を見た。朝起きて気づく、もうあんな受験勉強はしたくないと思いながら目が覚めていた。<br>
<br>
【関東！？千葉！？埼玉！？横浜！？】<br>
<br>
大学を選んだ基準ははっきし言って何もなかった。ただひたすら親元を離れたい、金沢での大学生活４年間は過ごしたくないという、一種の嫌悪感と、関東に行きたいということと一人暮らしをしてみたいというあこがれだけだった。兄が進んだ関西には進みたくない。だから関東の大学だ、私立は高いから国立だ、そんな選択だった。<br>
<br>
受験や進学も何も考えていなかった、ギターをやっていた私は専門学校に進んでみたかった。よく授業を抜け出し、スタジオにバンドの練習をしにいく、先生が親に連絡したり、自宅にギターを取りに帰る時に親に見つかって怒られる。そんな日が何日もあった。ギターを弾くのが楽しくて仕方ない。そんな進路を考えていたが、親には反対されとりあえず４年間遊びに行ってみろと説得された。<br>
<br>
国立・関東、そうやって大学の情報誌を見ながら学部の名前を見てもどこの学部が何の勉強しているのかもさっぱりわからなかった。面倒な計算ばっかりしてる経済なんて、性格に合わないって思っていた高校３年生の自分。今の進路に進む自分なんて想像できなかったはずだ。そんな中見つけた埼玉大学、教養学部。埼玉大学、なんか他の人が受けなさそうな感じがいい、偏差値もそこまで悪くない、教養学部、よくわからないけど他の学校にはない学部だ受けてみよう、自分にも親にも勢いで言い聞かせていた気がする。<br>
<br>
これに対して担任の先生はもちろん反対した。いかに進学校といえど当時学年４００人中３００番台に位置していた学生のたわごとに聞こえたのだろう。しかし私自身は妙に自分なら絶対できるという自信とそこまで無理だと言う先生を実際に自分が証明することで納得させてやるという反骨精神もあった。それだけでなく受験に失敗した時の私の進路は親の経営する新聞販売店での就職だった。しかもその販売店は根上という、その時住んでいた金沢よりもかなり田舎の土地にある店舗だった。もちろん知り合いなんかもいるはずがない。浪人は許されていなかった。受験に失敗してしまった人生が文字通り大きく変わってしまうものすごいプレッシャーにおされながら私は必死に受験勉強に取り組んだ。<br>
<br>
雪が降る中、父親がセンター試験が終わった後の私を迎えに来る。翌日には新聞と照らし合わせながら自己採点をしていくわけだが自分でも驚くほどうまく行っている。嬉しくて手が震えながら採点していた。そうした時に私は２つのことを悩むようになった。１つ目は勉強浪人をしてもっとランクの高いところを狙いたいというものだった。２ヶ月という期間での自分の異常なほどの伸び、もう一年勉強しないでこのまま受験してしまうのがもったいないと思ってしまった。もちろん親は反対した。浪人の先輩の両親からのアドバイスは浪人は思っているほど勉強に集中できない、成績はそんなに伸びないと言っていた。私は人がそうだったからと言って自分がそうなるなんて考えはつまらないと思っていたし、そもそも当たることではないと思っていたが浪人の先輩たちの助言を判断にした。もう一つの悩みは自分の志望校のランクを上げるかどうするかということだった。人間うまくいってしまえば欲が出てきてしまう。どうしようか悩み始めた。しかし、もともと2次試験のことも考慮しながら受けるつもりだった志望校だったことからも変更せずに受験することにした。<br>
<br>
この頃、比較的1次試験で稼いでいて２次の受験科目も一教科だった私は同じように高校受験だった弟の受験勉強も自分の勉強と同時並行で見るようになる。兄らしい振る舞いをしてこなかった私を弟が兄と思ってくれるようになったのもこのころからだ。<br>
<br>
<br>
【スプリングフェスティバルって何だ！？】<br>
<br>
マンスリーレオパレス。敷金・礼金なし。水道代、電気代タダ。家具が最初からついていて引越しに便利。そんな言葉にひかれて最初に住んだ住居だった。この選択が間違っていたことに気づくの一年経ってからのことである。<br>
アパートに着いたのは22時過ぎごろだったと思う。母親といっしょにタクシーに乗って大宮駅からやってきた。受験以来久しぶりにやってきた、夜のタクシーの窓から見える道はとても不安に感じるものだった。<br>
<br>
アパートの鍵を開けて、部屋に入ると高い天井が僕の目の前に飛び込んできたと同時にここから初めての一人暮らしが始まるんだという気持ちが胸いっぱいに広がった。この時の言葉だけでは表現できなきこの感覚はきっと忘れることはないし、きっともう一度味わうことはできないものだろう。深夜に荷物を届ける宅配便が届き、寝床の確保と荷物の整理を母親と一緒に行う。とりあえず寝れるようにしなくては。ようやく寝床に入ったのは２時過ぎだったと思う。金沢からの移動、荷物の整理、体はくたくたに疲れていたはずだがきっと私はわくわくして眠れなかったはずだ。<br>
<br>
<br>
朝、目覚めると母親が大学を見てくると言う。息子がこれから４年間通う大学の写真を撮って父親に持って帰るというのだ。これから毎日通うことになる私としては午後までゆっくり寝させてもらうことにした。母親が午後になってカメラを持ちながら帰ってきた。「学校にたくさん人がいて列になっていたけど何なんだろうねと言っていた。」私は何のことを言っているかわからなかったがとにかく今日中に荷物を片付けなければならない。ようやく荷物を片付け、この日は母親といっしょに焼肉を食べに行った。感想はマズかった。関東の食事は高い割りにあんまり美味しくないと聞いていたが、金沢の食事があらためて美味しいものだと気づいた瞬間であった。<br>
<br>
<br>
朝自分一人で目覚めて、スーツに着替えて出発する。そんなことでさえもドキドキしてしまう一人暮らしだ。入学式のため大宮に向かう。会場に着くと何人かで集まって仲良さそうに話している人が多かった。思った以上に地元の埼玉から進学する学生が多くてもともと仲が良い人たちが出席しているのかな。そんな風に私は思っていた。この日昼食は学生たちが各自好きなところに昼食を食べに行って午後からまた戻ってくる形式だった。私は一人で駅ビルの中にある天ぷらやで豪華に食べていた。デザートはアイスクリーム天ぷらだ。予想していたものとは何か違った味だった。明日からはいっしょに昼食を食べる友人を作ろう。キャンパスのベンチに座りながら食べるのもいい学食で食事するのもいいな。そんなことを考えながら昼食を終えて会場に戻った。<br>
<br>
<br>
【寂しい昼食】<br>
<br>
初めて学校に登校する日、そして初めてクラスの生徒が顔を合わせる共通の英語の授業だ。朝一番の８時４０分の授業にめいっぱいオシャレをしていこうと私は念入りに服を選んでいた。かといって、あまり時間をかけ過ぎてもいられない。輪っかがすでにできてしまっていたら入りにくくなってしまう。私は学校に向かった。<br>
<br>
教室に着くと、すでに何人かの生徒が来ていた。しかし、中学や高校で仲のよかったような人とはちょっと違った。頭の中で想像していた国公立大学の学生のイメージそのものだった。あまりしゃべったのかどうかも覚えていない。その時一人の学生が教室に入ってきた。一目見たときに私は「コイツだ！」と感じしゃべりかけたのを覚えている。話したことといえば、名前・出身地・一人暮らしかどうか・携帯持ってるだとか程度のことしかしゃべれなかった気がする。「ミツヒロっていうんだ。うちの父親といっしょだよ。」そんなよくわからないことさえ喋っていた。彼とは埼玉大学で４年間一番仲良くなり、一番付き合っていくことになる。<br>
彼と話しているとまた新しい学生がやってきて彼と仲良さそうにしゃべっている。宇都宮出身の彼がすでに知り合いがいることに私は驚いていた。<br>
<br>
どうやらクラスの共通の授業は週２回の英語と週一回体育だけらしい。そうして授業が終わった後に私の知らない言葉が会話の中に入っていた。「スプリングフェスタでいっしょなグループだったから仲が良いんだ」。スプリングフェスタって！？何のことを言っているのかよくわからなかった。共通の授業が終わればそれぞれ別のクラスに皆向かう。私は移動しながら授業でいっしょだった学生と必死に携帯電話の番号とメールアドレスを交換した。<br>
<br>
そして昼食の時間になる。キャンパスのベンチや学食での昼食はどこかに行ってしまっていた。初めての空間である大学の広場や学食で一人でご飯を食べることがとても恥ずかしいようなことに思っていた。この日一体何を食べていたのか覚えていない。きっとどこかのコンビニでパンでも買って、一人で大学以外のどこかで食べてきて、また大学に戻ってきたのだろう。何で一人で食べているのか私にはさっぱりわからなかった。<br>
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初めての大学の授業も終わり、家に帰った。とりあえず、今日交換した携帯のアドレスにメールを送らないと、でも顔が思い出せない。まぁ、それでもいいから送っておこう。<br>
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想像していたキャンパスでの新しい友達との昼食は一日目にはなかった。明日からの昼食もどうしようか、そんなことを考えながら私の大学生活が始まるのだった。
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